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受験生への応援メッセージ12020/05/16

大学院が求める学力とは

 

大学院に行きたい。でも自分の学力じゃあ・・・・・と悩み、進学希望を口にするのを躊躇している人は多いかもしれません。そういう人の誤解を解き、迷いを解いてみたいと思います。

 

まず上のような不安を抱える人は、大学院生に求められる学力を誤解している可能性があります。あくまで一般論ですが、大学院生に求められるのは、立派な論文を書くことです。ですから入り口の段階で大学院の教員が知りたいのは、受験者が立派な論文を書いてくれそうかどうかということです。

 

こう書くとおじけづいてしまう人が多いかもしれませんね。もう少しかみくだいて説明しましょう。大学院で立派な論文を書くにあたり、重要そうに見えて実はあまり重要でないポイントがあります。

 

そのひとつは、暗記力です。東南アジアのことを何も暗記できてないから私はダメだ、という心配であれば、その心配はそもそも必要ありません。

 

なぜか。

 

理由は簡単です。くりかえすと、大学院生に求められる能力というのは、一言でいえば論文を書く能力です。論文を書くときには、大学入試のように、教科書を伏せて記憶力だけに頼って書いたりはしません。自分の記憶が怪しければ、本などで確認すればよいだけなのです。そもそも、このインターネット全盛の時代に、基本事項はネット検索や、事典や官公庁などのウェブサイトで簡単に確認できます。極端なことを言えば、英単語のつづりの間違いだって、今はパソコンの校正機能で勝手に修正してくれます。簡単に確認できることを暗記できていないからといって、それが論文を書く上でマイナスになるわけではありません。

 

もうひとつ、重要そうで重要でないのは完成度です。自分の勉強はまだまだ完成度が低いから、と悩んだりしていませんか。でもよく考えてみてください。大学院というのは、未完成の学生たちが自分の研究の完成度を上げていくためにあるのです。ですから、入学時点で完成している必要はまったくありません。いや、もしすでに完成しているのであれば、そもそも大学院に来る必要がないでしょう。すでに自分の研究が完成の域に達しているのであれば、いきなり学位を請求すればよいのです。

 

もっと言います。大学の先生たちだって、全員が未完成です。自分の研究がすべて完成してしまえば、もうやることはありません。ですから、研究を完成させる時というのは、研究をやめる時なのです。でも学者というのはみな、ひとつの仕事を終わらせたその瞬間に、その作業にまだまだ未完成の部分が多いことに気づき、それが次の研究への原動力になっていくのです。この、自分がまだまだ未完成だという気づきが、これまで、いやこれからも、学問の発展を支えていくのです。

 

最後にくりかえします。大学院の教員というのは、学生に辞書代わりの役割を求めるわけでも、研究者としての完成形を求めるわけでもありません。ほんとうに求めているのは、この学生なら何か面白いことを考えてくれるかもしれない、という予感なのです。

 

東南アジア地域研究専攻 専攻長/地域変動論講座 講座主任

片岡樹

 

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