伊藤正子研究室

エッセイ

フィールドワークの話

わたしはベトナムの少数民族を研究対象としており、昨年2005年夏には西北山間部のラオカイ省(中国雲南省の南側にあたる)を訪問した。ラオカイは1996年12月以来二度目の訪問だったが、ベトナムの急速な経済発展は山間部の中心都市ラオカイにも開発の波をもたらしていた。 しかし、一歩観光とも無縁の地域に入ると9年前とほとんど変わらない地域が拡がる。特に今回訪問したムオンクオン県ターザーコウ村はかなりの衝撃だった。この村の一部に集住しているトゥーラオと呼ばれるタイ系の人々を訪ねたのだが、村の8割が飢えの状態にあった。 村に行くといつもお年寄りに村の歴史を尋ねるのだがお年寄りがおらず、紹介された70歳くらいに見えた前集落長の男性は、49歳であった。(彼によれば、わたしは20歳くらいに見えたのだそうだ。確かに20歳若く見えるとするとそれくらいの歳である、、、。) ブタや水牛や鶏のフンが一緒にまざった泥で、膝まで埋まる道沿いに、家がへばりつくように斜面にたっている。当然ながら電気も水道も何もない。ハノイから派遣されてきた小学校の先生は、赴任した日に平野へ帰ってしまったそうである。 このあたりのよい土地は、多数派のモン(中国ではミャオ、ラオスではメオと呼ばれる)に占められている。「貧しい」とか「遅れている」とかキン(ベトナムの多数民族)から軽蔑を込めて言われるモンが、ここでは非常に豊かに見えた。「少数民族」などと一くくりにはできない複雑な構造が垣間見えた。

トゥーラオの民族衣装を来た女性と水牛をえさ場から連れて帰ってきた子供
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